心がぽっかり・・・コーラ先生のこと。

心が不安定な今日この頃です。
自分が今だにここに拠り所を求めていたとは…
12/ 9(木)、恩師、平山高良氏(コーラ先生)が他界しました。62歳。癌で1年ちょっとの闘病だったそうです。
最後まで生きようと頑張っていらっしゃったと聞きました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。・・・・
一番悲しいのは、もうメールをしても返事が返ってこない、話したくても話せないこと。
6月にメールした時は返って来たのに。そう思うと涙が出ます。
当たり前だが、どうも割り切れない。
コーラ先生は日本のショービジネスの最前線で活躍し踊って来た方と聞いています。・・・ここでは細かいことは控えます。
海外へも積極的に勉強しに行ってらっしゃいました。
その後はExpressを立ち上げ、芸能人のショウの振付、中でも銀座のショウクラブ「ショウガール」の振付を20年近く続けるなど、やはりショウを手がけていました。
あまりご自分のことは話さない方だったので、まだまだ沢山活躍なさっていたと思います。
先生はそんな中、その当時とても人気だった名倉ダンススタジオでインストラクターもしていました。
私はそこで初めて先生を知り「何て綺麗な脚なんだろう!ダンスするとこんなにきれいになるのか?
でも言葉は女の人みたいだ……」と高卒で踊り始め田舎者の私は思ったものです。
当時流行のレッグウォーマーを素敵に着こなし、クロスステップの曲は「ゴーストバスターズ」。
下手くそな私に、伸び伸びした振付がしっくり馴染み気持ち良く踊れたので「この先生の振付だったらこんな私でも上手に踊れる様になるかも」と思いました。
当時、クラスでは上手な人はファーストグループ。
私はいつも「あなたはここ」と並ばされ、サードグループでした。
2年後にはDance Station Express を奥様と立ち上げ
、それ以来もう25年お世話になりました。ほとんど親の様な存在ですね。
生きていらっしゃる時にはわからなかった…先生を越えたいといつも思っていたから。
実際には4年前にスタジオが閉鎖しほとんど会う機会もなかったのですが、その間心のどこかにいつもコーラ先生の言葉や教えを元に生活し、踊り、生徒に教えていた気がします。
先生の口癖は「つむじ天井(に引っ張れ)」 「お尻一山(にしなさい)」 「筋長く(使いなさい)」 「明るく伸び伸び大胆に!」でした。
上手く踊れると誉めてくれました。
滅多に誉める方ではなかったからそれは嬉しく、励みになりました。
一番最初に誉めて頂いたのは忘れもしないExpress 2回目の公演。私はデブな二十歳。
それは先生が出演せず若者のための公演でした。
当時ライバルの悦ちゃん(今はピラティスやホワイトクラウドの日本の第一人者)と一曲初めて一番前に立って踊らせて貰うことになり、それが振付の当日に分かった私は死にもの狂いで先生が何を求めているのか探り振付を覚えました。
その夜、先生から電話。言葉は忘れましたが、「久美子は良い。その調子でこの作品頑張る様に」みたいな内容でした。
コーラ先生のもうひとつの口癖は「振付をもらったら一発目にもうお客さんがそこにいるかのように踊りなさい」でしたので、私なりに初めて出来たのかも知れません。その時は必死だったので、誉められるとはビックリ。しかも電話かけて頂くとは!
その後は稽古中、夫婦そろって「悪く無い」とばかり言われ「良い」とは言われない日々ばかり。
しかし、奥様のつるさんは稽古後いつもお茶を飲みに誘ってくれ、踊りの悩み相談やどうしたら上手になれるのかを話してくれました。
夫婦そろって温かかった。
年一度の公演ではソロの部分が少しづつ増え、それが嬉しく稽古に励みました。
私はたまにN,Yへ行ったりコンテンポラリー習いに行ったり外部の仕事を頂きながらコーラ先生のことを忘れていた様ですが、しかし心の奥では「コーラ先生に誉められるため」に全てやっていた気がします。
(そんな私と同じ気持ちの生徒が多かったのか、そして先生のお人柄なのか、
弔問の人が物凄い人数でした。隣の祭壇の親族の方々がのぞきに来るほど。)
今もそう。スタジオを立ち上げ自分の活動をしても、何処かでいつか会った時に「立派にやってるね」と誉められるためにやっていた様な気がします。
いなくなった今、いい歳して先生に拠り所を求め励みとしていた事に初めて気付かされました。
…これから先、なぜ踊り作品を作って行くのか?
勿論自分のため、自分がやりたい、しいてはスタジオの皆が待っているとは頭では分かっているつもりなのに、なぜか心がボッカリ穴が空いた様です。
そんな私のせいなのでしょうか?
一週間後のクリスマスパフォーマンスの出演者に怪我人続出…
私が今ふにゃんとしてるけど、出るのは皆さんです。先生がしっかりしない時には生徒が育つ….どうか頑張って欲しい!
先生が新宿コマ劇場で振付をし、私がアシスタントしていた時のこと。
初日で楽屋挨拶回り後、1時間半ほど時間が空いてしまいました。
先生が「お茶しましょ」と、コマ劇場の裏のアマンドへ。
先生はいつもアイスコーヒー。
その時「久美子は一生現役で踊り続けてね」と言われました。
今、この歳で身体痛めてもなお苦戦して復帰しようとしているのは、その言葉の通りにしようとしているようにも思えます。
コーラ先生。舞台という素敵な夢を頂きありがとうございました。
これからも、そこに立っていけるように生きていきたいと思います。
そして来年7月は公演「ゆらぎ」がテーマです。
この心のゆらぎが作品になる気がする・・・
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♯kokansetu


[Posted by kumiko at 2010年12月20日]